代表取締役 和田 賢次 の経歴

代表の写真

 1975.8.25

東京都練馬区生まれ 4人兄弟の末っ子。

1981~1983

練馬区立開進第一小学校

やんちゃな性格から、同級生といつもケンカをし、結果、全員から仲間外れをくらう(笑)

1983~1987

小学3年の時、父の転勤の為、埼玉県川口市立新郷小学校へ転校する。

転校してきた日に、同級生のボス的な生徒といきなりケンカで勝つが、 しかし、またもや、全員から仲間外れをくらい、「もうケンカ(手を出す)のを辞めよう」と決意。

更に、先生からも、仲間外れをくらい、寂しかった事が、かなり影響した。 そこから、現在(47歳)に至るまで、一切無し(当たり前(笑))

夕日と子ども達

1988~1991

野球

川口市立東中学入学

ケンカのエネルギーを「野球」へぶつけるようになる。

それからは、野球、野球の日々。本格的な気合いの入った部活ではなかった為、 物足りなさから、部活が終わってからも、ずっと野球の練習に力を注いだ 。

3年間で、学校自体野球が弱い為、優勝どころか、常に1回戦負け。

ただ、練習だけは自分なりに頑張った。

さて、進学(高校)はどこにするか? と迷っている時に「甲子園で帝京高校が夏大会優勝」を テレビで見て感動→「帝京高校1択だー」と心に決心する。

早速、「野球で入学する為のセレクション(野球の実力審査)」を受けに帝京高校へ。 やっぱり、下手くそだった為、「不合格」。 それならば、「勉強をして帝京高校へ入学する」と決め、「一切遊ばず猛勉強」をする。

結果、見事、合格。偏差値65くらいあったようです(笑)

1992~1994 

甲子園球場

そして、念願の「帝京高校野球部」に入部し、野球部監督と二度目まして。

監督ビックリする→セレクションで落としたはずなのに、しぶとく勉強で入部してきたなと。

入部してからは、練習練習(特に走り込み)は、ホントにしんどかった。これ以上のしんどさは、現在(47歳)に至るまで、一切無し。

先輩の代がめちゃくちゃエリート集団(強すぎ)で「春センバツ甲子園優勝」 たまたま、ベンチ入り背番号15でラッキー。優勝メダル、紛れて受賞。

自分の代は、これまた、真逆で、「一番弱い代」と監督に常日頃言われ続けながらも、何とか「自分が4番でエース」の大黒柱で、予選の準決勝まで行くが、敗退。甲子園行けず。

これを機に「野球の情熱が一気に冷める」→大学進学(野球)もせず、やる気が無くなる。

1995~2003

ラーメン屋の厨房

18歳~26歳

実際に、やる気が無い期間は3か月程で、次の情熱先は「車、お金」になる ならば、アルバイトで、ガンガン働き、3個アルバイトの掛け持ちの日々。

その1つが「らーめん屋」でした。あとは、ガソリンスタンド、引越し屋など。

働いていた、らーめん屋の店長がとても良い方で、楽しく続ける事が出来、らーめん屋にハマっていく。店長には、ホントに感謝です。今も、連絡を取り、会いに行ってます。恩義を忘れちゃいけない。

2004~2009

26歳~32歳

まだまだ、らーめん屋をやりたいと思い「らーめん屋で独立して金持ちになる」と決意し、 当時、勢いバリバリのらーめん屋で他店舗展開している会社に正社員として入社する。

社員時代の「店長、常務」がヤ〇ザみたいで、とにかく怖い、スパルタ、今の時代だと訴えられます(笑)

逆に、そのくらい仕事に対しての情熱を感じれたので、感謝感謝。ありがとうございます。

ラーメン屋でバイト

1年後に、店長が急遽異動になり、「和田、店長やれ」と言われ、2つ返事「ハイ」キター。

店長に就任してから、休みなく、スーパーハードスケジュール(労基法無視)だったが、 その分、人生の時間を凝縮させられたと感じています。

店長時代の業績(前年対比売上)は、32店舗中1位を連続して取り、 売上高も、就任前の月商600万を1,000万まで上げ、その実績が評価され 本部の部長に昇格する。

部長になってからは、20店舗(主に関西、九州エリア)のエリアマネージャーを任され現場の指導で毎日回りまくる(当然休み無し)(笑)

関西、九州エリアでは、店長と一緒に現場に入り、当時、前年対比売上75%から 100%へ回復させる。

実践した内容は「店長と一緒に汗を流し、分かち合い」→ 「商品、接客、清掃」と飲食店の王道を貫き、改善させる。

2009~2020

32歳~47歳

組織の中で、業績を上げるのも楽しいと感じたが、やはり「独立」したいと思いまずは、この会社の「社内独立制度」にて、独立に近いものを学ぶ→1年で飽きる(笑)

今度こそ、「ホントの独立」をする。

第1号店は、足立区で開業((株)GRAST設立)する。当時は、資金も経験もなく、不安だった。

その時に考えた事は、ラーメン店の居ぬき物件なら、前オーナーに売上実績聞いちゃえと。 聞いたら、そこそこ売上実績があり。場所が良いか? 悪いか? わからないけど、このラーメン屋(前ラーメン屋) より「魅力的ならーめん屋」なら、イケるよね。と思った。 イケた。やはり。考えは合ってた(笑)

こうなったら、調子に乗って、他店舗展開加速してやると。 最初の1号店から、半年間で、3店舗出店。全て繫盛店にした。

その後も、4店舗、5店舗を順調に出店していくが、落とし穴が待ち受けていた。「東北大震災」。

らーめんの食材の供給元が、東北地方にもあり、供給が激減し 店舗の営業時間が取れなくなり、売上50%ダウン。。資金が無くなる。

銀行に何とかお願いし、借入で、ギリギリ継続する。 半年間は、「明日会社が潰れてもおかしくない状態」が続く。息を吸ってる感じ無し

その後、何とか、食材の供給も戻ってきて復活! ガンガン出店攻勢に、また目覚める。

しかし、設立、9年目に、12店舗に増えた頃、「飲食店の求人倍率」が跳ね上げり、一気に求人難に。 このまま出店を加速させる事は出来ないと思い、店舗展開のやり方を変える。

「ライセンス契約」による店舗展開へ。このライセンス契約であれば店舗展開できる自信があった。

「良い立地」
「北海道らーめんというコンセプト」
「1店舗を1オーナーで管理」

お客様が求めているのは「地元に愛される、温かみのある個人店」だと。

1企業が店舗展開していくと、組織の人間が多くなり、統一させる為の無駄なルールも増え らーめん屋の本当の活気が無くなる事になる。

2020~2022

「北海道らーめん みそ熊」の「ライセンス契約」の募集をスタートさせる。

①良い立地
②北海道らーめんのコンセプトの提供
③求人手配、営業代行業者の手配
④オープン後も、オーナーと密に連絡を取り合う本部体制

を、構築させ、店舗数を、8店舗まで増やす。

また、「社内独立制度の暖簾分け」にて、店長3名を、個人事業主へ輩出した。

握手

2023~2026

 3年計画25店舗。を目指し、ライセンス店舗のオーナー募集中。